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「自由と愛の感動を世界に」

中野良子

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語学もコミュニケーションの上では大切ですよね。でも本当の交流というのは、まず勇気をもって話すことから始まるような気がします。
二階の窓の向こう水平線が広がっていて、その向こうの外国に思いを寄せていました。
中野の本家はもともと庄屋で、二階は外国の珍しい物でいっぱい。実家の目の前が海で、ソニーの盛田さんや元経団連会長の平岩さんがご近所、国際交流は千年以上前からやっている町。と、そんな環境に育つと無意識の影響力ってあるんでしょうね、きっと。
国際交流は常に頭にあって、俳優だけの人生というのは最初から考えていなかったですね。
高校の時に劇団に入ってからは、ほとんどカメラの前と台本の中だけの俳優人生。それでも春になると冬眠から醒めるように世界中を廻ってました。ある日「君よ憤怒の河をわたれ」という映画が中国で大反響を呼んでいる。何億という人が感動していると聞き、ああすぐ隣に大きな国があったんだって、初めて中国を意識したのはその時ですね17年前初めて中国へ。ホテルの十何階から何百キロの彼方まで幻想的な風景が見えるわけですよ。で、ふと下を見下ろすと、何十万という人が同じ服着て、同じ自転卓にのって、同じ方向見て遥か彼方まで行く光景がある。感動でしたよ…同じアジアの隣国なのにこんなにも祉会構図が違う。
俳優の仕事は他の方でもぉできになる。才能のある方はたくさんおられるし…。で、ちょっと私は違う方に目を向けて10年後の世界に役立つことをやるべきかなと。妙な使命感を17年前に感じてしまったんです。それからは中国研究に時間とエネルギーを注ぎました。
中国でかつての日本人による残虐行為の写真を見せられた時は、すごいショックでした。
1986年に「南京屠殺記念館」で写真はショッキングでした。日本刀と首だけの頭を持った日本兵の笑ってる顔が延々と大画面に…衝撃で立てなくなって涙が溢れそうで、でも負けちゃいけないと。今の日本人や国を当時の印象のまま見ることは中国側にも損出だし、解かなくてはいけない誤解なんだと。ウワッと立ち上がって逞しく自分が歩き出すわけです。それからいろんなことを始めて終戦50周年に小学校をひとつ建てました。
インターネットという「場」があるのだから世界に向けて私の思いを発進していきたい。
世界の人と仲良くするには三つの視点が必要なんです…。自分の中を深く見つめる目、相手の心を見つめる目、そして宇宙から地球を見るという鳥欧的な視点ですか。これがないといけない。インターネットをね、始めるんです。タイトルは「Ryoko is Phlosophy」.つまり私が経験の中から得た生き方といったものを発進していきたい。世界が多民族社会になっていく中で、共通の行動力や視点を開発していきたいと思うんです。
いま、流れた歌「大海」を中国の方が一緒になって歌ってくれている。これが国際交流の本質でしょうね。フランス人もアメリカ人でもやるし、誰でもできることのはずですけどね。二千億円で戦闘機を買って、牙を見せて牽制しあう平和というのも必然としてはあるけれども、北風よりも太陽というか「私達はぽかぽかと優しい愛情をもった国民なんだ」という表現もなくちゃだめなんだと。もう一つの愛の戦闘機というか…。

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